「毒親」という言葉を使うか否か。人に与えるイメージについて

私が「毒親」に違和感がありながら「毒親」を使う理由
「毒親」、よく使われている言葉だと思う。
私は「私が母(毒親)のことを話すワケ」でも書いたけど、
自分の親のことを毒親というのは、違和感がありまくる。
繰り返しになるけれど、ひとくくりにできるものではないし、
その「毒親」に抱いている感情もひとくくりにはできない。
私の親を正確に表すのであれば「心理的・身体的虐待をした親」である。
正直に言って、「毒親」で一般的に思い浮かべられるイメージは
私の親よりマイルドなのでは?と思っている。
指し示す範囲が広いのだ、「毒親」という言葉は。
だからといって、程度の差でマウントを取るつもりも取られるつもりも一切ない。
多かれ少なかれ、親も人間である以上「毒」は持つ。
そしてその毒への免疫も人によって違う。
「毒親」なんて、経験した本人が主観的に使うことしかできない言葉だ。
だから、概念があいまい。
「毒親の定義は?」と聞かれたら、どこかにあるのかもしれないが、
きっと十人十色の答えが返ってくるだろう。
私が「毒親」という言葉に違和感がありながらなぜ使っていたかと言えば、
「何について話しているかが一発でわかりやすいから」だ。
「母についての記事」だけだと、
「素敵なお母さん」「おもしろいお母さん」を思い浮かべる人もいるだろう。
(しかも私なんて普段ふざけたことばっかり言ってるから。)
ほっこりな話かと思ってフタを開けてみたら虐待親の話でした、だと、
思わぬダメージを受ける人もいるかもしれないと考えてのことだ。
特に、虐待された経験を持つ人への不意打ちだけは避けたい。
フラッシュバックがあるからこういう話題を避けたい人もいるのだ。
私だって、テレビで虐待に関するものが流れてきたら、動悸がして気分が悪くなる。
Twitterのタイムラインには虐待のニュースが流れてこないよう、せっせとミュートワードを設定したり、ブロックしたりしている。
うっかり見てしまったら、丸一日平常心で過ごすことができない場合もあるからだ。
私の母を一般的に広く知れ渡っている言葉で表現すると、やっぱり「毒親」になる。
「虐待親」だと、字面が強すぎて使いづらい。
「毒親」も十分にアレなので、早々にプロフィールの文章からは撤去したが。
「毒親」という言葉を使う人に向けられる言葉たち
「毒親」という言葉を使うと、拒否反応を起こす人たちが一定数いる。
これは「毒親」という言葉自体というより、「毒親アピール」に対してなのだろう。
私もどちらかといえば、いい気はしない。
拒否反応を起こす人のなかには、こういった言葉を向けてくる人がいる。
・親にたいしてそんな言い方をするなんてひどい
・自分の不幸を親のせいにしている
・被害者ぶって騒いでいる
私はこういうのをあまり気にしない方なんだけど、やっぱり気になるときはある。
ちょっとここ最近は気になる自分が強いので、思っていることを言わせてほしい。
・親にたいしてそんな言い方をするなんてひどい
多かれ少なかれ誰だって悪い面もあるし、親とのイヤな思い出もあるはず。
だけど、誰かの「毒親」は自分の想定を超えている可能性を考慮してほしい。
たとえば私は昔、親から暴力を振るわれたという話を知り合いにしたら、
(よく所有物が壊れたり怪我をしていたから「どうしたの?」ってなる)
「あるよね~。自分も反抗期のときはグーで殴られたことがあるよ」と言われた。
私が言う「暴力を振るわれた」は、
「特に反抗はしていないが日常的に、体が腫れて黒くなるほど」である。
私のケースは極端かもしれないけど、自分の狭い尺度(狭いのは仕方ない。自分の家庭が基準となるから)で、人の苦しみの結果を「ひどい」だの「ひどくない」だの言うべきではない。
どこからが毒親で、どこからが毒親じゃないかの明確な基準なんてないから、
なかには「大げさに”毒親”と呼んでいる」ように見える人もいるかもしれない。
でも結局は家庭というマイナーなコミュニティで生まれた心の問題。
大げさかどうかのジャッジは本人以外にはできない。
・自分の不幸を家庭のせいにしている・被害者アピールをしている
そういう人もいると思う。
でも、ママ垢だからか、私が「毒親」という表現をTwitterで見るのは
「自分の親が毒親で〇〇だったから、自分はこうならないようにしよう」
と、反面教師にして向き合っている人が多い。
自分は同類にはならないぞ、という決別の意味を込めて使っているような印象。
あと単純に関わり方で悩んでたり、愚痴として吐き出している人もいる。
愚痴を言っているからって、別にすべての不幸を毒親のせいにしているわけではない。
「家庭のせいにしていても幸せになれないよ」みたいなことは、
自分自身があまり恵まれた家庭環境ではない人も言う。
自分は「家庭のせいにせずに生きている」自負があるのだろう。
わかる。わかるけど、私だって同じ。
そう言われると、そんなつもりはなくても見下されているように感じてしまう。
毒親持ちで「家庭のせいにせずに生きている」人は私の周りにもたくさんいる。
みんな自分より馬鹿ではないし、自分より弱くもない。
これは私自身がつねに胸に刻んでおきたいと思っている。
馬鹿とか弱いって言ったけど、苦しくてつぶれた人に向けての言葉ではない。
苦しみは比べられないし、心の変化にもそれぞれのペースがある。
人が苦しんでいるさまを高みから見下ろしているようなのが私は気になる。
これ、私もやりそうになる。というか、やってるときあると思う。
でも多少なりとも自分が通ってきた道だし、これから戻らないとも限らない道だ。
気をつけないと。
要するに「毒親」って使う人は
繰り返すけど、「毒親」と表現する=被害者意識の強い人ばかりではない。
もうこの言葉が広まって少し経つので、私のように単純に「共通言語」として使っている人もいる。
常識とまではいかないけど、普通に広く知れ渡っている概念だろう。
毒親はめずらしくないっていうのも広まってきているように思う。
被害にこだわる特殊な人たちだけの合言葉ではないのだ。
「毒親」が指し示す範囲は広い。定義もあいまいだ。
だからこそ使い勝手がいい。
「女性」「老人」「労働者」みたいに、自分の親をカテゴライズして簡単に表現するのに「毒親」を用いることができる。
一昔前ほどそこに深い意味はない。
特にSNSでは短い文章に情報を詰めたいので、ただ便利に説明するための言葉だ。
これは「毒親」だけじゃなくて、「痴漢」とか「セクハラ」とか被害が絡んでいる言葉、とくに無関係な人にはその被害が目に見えにくい場合において、同じように「拒否反応」を反射的に起こす人がいる。
自分ではない誰かに被害を訴えられると、自分が責められているような気分になる人もいるのかもしれない。
あるいは、自分もかつて被害者で「自分は我慢したんだから他の人も我慢してほしい」と思う人もいるのかもしれない。
不快になるのは仕方ないとして、拒否反応を起こして発言する前に、ちょっと立ち止まってほしい。
その言葉、あなたに向けられたものなのだろうか?
そもそもその人は「被害者ぶっている」のだろうか? なぜそう言える?
あなたが自分に重ね合わせてそう感じたのではない?
高みから見下ろすような失礼な態度を取っていない?
つまり私は…
これらを踏まえて私が思ったこと。
めんどくさーーーーーーーい。
いちいち説明するのもめんどくさいし、誤解されたまま説教されるのも優しく人生を諭されるのもめんどくさい。
私の目的は最初に言ったように、「何の話をしているかを明確にさせて読む人を不意打ちしないため」だ。
(あとできるだけマイルドに表現したいから)
なので、一旦、ブログの説明とかカテゴリーとかぱっと目に付くところの「毒親」表現はやめた。
そういう話題を避けたい人への不意打ちをしないために、記事ひとつひとつのタイトルには場合によっては毒親を入れたり、内容がわかるような表現にすることによって、不意打ちを避ける。
しばらくはこれで行く!
キラキラキラキラ~~~~(重い空気を浄化する音)
じゅりえ