【小説】転がるトマト(前編)

小説
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あれは中学生の時だ。

夏らしく、友達と「幽霊は見たことがあるか」という話になっていたと思う。

私は「幽霊ではないがトマトが転がるのをよく見る」という趣旨の話をした。
友達はぽかんとして変な空気になったことを覚えている。

しかし私にとっては幽霊もトマトも似たようなものだ。
呼んでもいないのに急に現れて、ころころと私の横を転がったり、駆け抜けたり、飛び跳ねたりする。そしてどこかへ去っていく。

しかも、トマトが現れる前後には決まって嫌なことが起こる。だから私はあのトマトを不幸のトマトだと思っている。

トマトが転がる、それは私の幸運が逃げていく合図だ。
転がるトマトを見るとぞっとするし落ち込む。
きっと幽霊を見てもそうだろう。

今までどんな時にトマトが転がってきたか。

幼い頃は大事にしていた何かを失くしたとか、友達と喧嘩をしたとか、些細なことでもよく転がっていたが、最近はそうでもない。

もっと大きな不幸の時に転がる。と、自分では思っているのだが、些細なことは単に印象に残っていないだけかもしれない。

印象深い嫌な出来事といえば、受験に失敗した時、バイトをクビになった時、彼氏に振られた時……。

就活の時なんか、面接中に窓の向こうでまあまあ大きなトマトが浮いていた。浮いているな、と思ったら急に重力を思い出したかのように下へ消えた。
落下のパターンは初めてだった。結果は当然不採用だった。

最近では仕事で手痛いミスをした日に終電のがらんとした車内でいつの間にかトマトが隣に座っていた。
トマトは私が降りる二つ手前の駅で疲れたように下車していった。
トマトも残業で疲れていたのだろうか、と考えた私の方が疲れていたのは言うまでもない。

そして、今。
喫茶店の狭い二人席でアイスティーの氷を沈めながら、私は窓の外のトマトをぼんやりと眺めていた。

少し離れていて見えにくいが、道路の向こう側に見える赤くて丸いもの。
横断歩道で人に混ざって青信号を待っている。

あれはきっとトマトだし、トマトであれば絶対に転がるトマトだ。
スーパーか冷蔵庫以外で見かけるトマトは、ほぼ間違いなく転がると相場は決まっている。

今日は私の二十七歳の誕生日で、結婚を考えている四つ上の彼とのデート中だ。
こんな日にトマトと出くわすなんて、不幸にも程がある。

信号が青になった。
案の定、トマトは横断歩道を渡りだした。ゆっくりと転がり、たまに弾んでいる。
そして私がよく見えるところまでわざわざ近づいてきた。

真っ赤で、艶めいていて、生命力に溢れる美しいトマトだ。
見よ、あの堂々とした佇まいを。
己のせいで惨めな思いをしている女のことなど、ほんの少しも憂慮していない。

「ごめん、急に仕事の電話なんか……」

悪びれた様子で戻ってきた彼が私と窓の外を交互に見ながら席に着いた。
トマトを監視しているせいでろくに返事をしなかった私を彼が心配そうに見ている。

最近、二人でいる時に彼に仕事の電話がよく入る。

以前はそんなことはなかった。
携帯を肌身離さず持つようになったのも最近のことだ。
トイレに行く時でさえ、途中まで行ったのにわざわざ携帯を取りに戻ってきたりする。

そんなことをちょっと友達に話したら、
「それ、浮気相手と会ってる時に本命の彼女に連絡入れてるやつだね」と笑われた。

彼女は軽い冗談か嫌がらせのつもりだろうが、私の方が浮気相手という意見に、不思議な感慨を覚えた。

確かに、彼にもうひとり良い人がいたとして、そちらを大事にしているのなら、浮気相手は私の方ということになる。
付き合いの長さとか、結婚したいという私の気持ちとかは彼にとって何の意味も持たない。

昔から、私は浮気される女だ。歴代の彼氏は皆浮気をして去っていった。
呼んでもいないトマトと一緒に。

母もそういう人だったのかもしれない。

父に繰り返し浮気をされて、私が小学生の時に今度は自分が男を作って出て行った。
それから私は今も母方の祖母と一緒に暮らしている。

父のことはどうでもいいけれど、母のことはたまに考える。
母は細くて、目が吊り上がっていて、貧血気味で、いつもヒステリックに怒っている人だった。

でも私は、母のことはそんなに嫌いではなかった。

母なりに私を可愛がろうとしていたのは、子どもながらに感じていたのかもしれない。
悲しいことに無関心よりは重たい愛情の方が憎めないらしい。

とはいえ、母のことを考えるようになったのはここ数年のことだ。
当時の母の年齢に自分が近づいてきたからだろうか。

けれど、今更思い出そうとしても母の怒った顔をぼんやりと思い出すだけで、あまり覚えていることはない。

自分でもよく分からないが、子どもの頃はなんだかすっかり両親のことを忘れていた。
そんな面倒なことを考えるより、本や漫画の世界に浸っていた方が楽しかったからかもしれない。

私は幼い頃から妄想少女だった。
友達を作るのがあまり上手でない分、脳内に自分だけの友達がいたのだが、そういえば働きだしてからは彼らと話すこともほとんどなくなってしまった。
それが大人になるということなのだろうか。薄寂しい。

昔から、私は自分というものは小さな点だと思っている。

私の頭の中には誰かに埋め込まれた小さな点があって、それが本当の自分だ、と。
私の頭、身体、心はただの器だ。

楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、不安なことはたくさんある。でも、それはすべて器の自分が体験して、感じて、考えていることであって、本当の私は頭の中の小さな点から外の世界を覗いている。

小さな点の私は、無表情で、無感情だ。

幸せなことも、悲しいことも、器の自分がろ過をしてから小さな点の自分に届く。
ろ過されたものは原型を留めておらず、ほんのわずかでほとんど無味無臭だ。
でも、小さな点の私はそれをエサにして少しずつ少しずつ成長する。

そして死んだら、この世界に来た時よりもちょっとだけ大きくなって、私は私を埋め込んだ誰かに回収されて元の場所に戻っていく。

それが私の生きる意味だ。そんな風に考えている。

まあそれも、考えているのは器の自分に違いない。
小さな点の私は、何を考えることも、感じることもないのだから。

この人生で起こる、すべての喜びも悲しみも、怒りも、肉体の痛みでさえ、小さな点の私は器でろ過されるのを待つだけだ。

だから本当は幸せとか不幸せとかどうでもいいと言えばどうでもいい。
幸せになりたいけれど、なれなかったとしても小さな点の私にとっては関係ないことだ。それが運命なのだとしたら、ろ過されるのを待つしかないだろう。

「また何か考え事してない?」
困ったように彼が笑っていた。

せっかく彼が素敵なレストランを予約してくれたのだから、二人の時間を楽しもうと思っていたのに、気が付いたらいつものように自分の世界に入ってしまっていた。

そもそも、トマトのせいで気が散って仕方ない。

奴は、喫茶店を出てから映画を観て電車に乗ってレストランに来るまで、転がったり、弾んだり、ちょっと浮いたりしながら、ずっと私たちに付いてきていた。
しっしっと帰るように目配せしてもまるで無視だ。

今は隣の空いているテーブルの上でキャンドルになりきっている。
消えたら消えたでその瞬間に不幸が訪れるような気もするが、ずっと目の前をうろちょろされるよりはマシだ。

「あっごめん……」
バイブ音とともに彼が席を立つ。

映画館でも一回席を外した。

仕事で余程大きなトラブルがあったか、ものすごく心配性の女からの連絡か。
いずれにしても、彼に問いただすつもりのない私は一人で食事を続けるしかない。

添え物にトマトがあったので、フォークで突き刺し歯をむき出して、これ見よがしに隣のテーブルにいるトマトに見せつけて食べてやった。

~後編に続く~

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